基本的には暴論
見る自由もあれば、批判する自由もある。
どんなプロフェッショナルでも賞賛や肯定ばかり得られない。
それに、見なきゃ嫌かどうかなんて分からないよね。
俺は、狭い世界ながらライターやジャーナリストとして仕事をしてきた。
基本的には俺の文章や話、情報に価値を感じる人が居るから、契約が成立し対価が支払われる。
しかし、俺が未熟ゆえ「期待外れ」に終わるケースもある。その場合、当然批判される。
しばらくショックで落ち込んでしまうほどキツい批判を浴びる事もある。
でも、それは当然だろう。仕事ってそう言うもんだ。
俺だって、自分が払った金に見合う仕事してもらえなかったら批判したくなる。
じゃあ、無料なら?
恐らく、こっちの方が「嫌なら見るな」で揉める確率は高いだろう。
動画、絵、音楽、ブログ、ホームページ、掲示板、ツイート、ライブ配信・・・
特に、インターネット上のコンテンツの多くは見た側は対価を支払っていない。
このブログにしてもそうだ。この場合「嫌なら見るな」は成立するのだろうか?
俺は、しないと思う。無料だろうがなんだろうが、見る自由も見ない自由も、賞賛する自由も批判する自由もある。
それは「見せる自由」と同じくらい尊いものではないだろうか?
ただし、どんな批判でもアリとは思わない
見せる側も見る側も人間である以上、感情の生き物だ。最低限の配慮はあってしかるべきだろう。
当事者間で金のやり取りが発生する仕事ですら、その程度の配慮はある。
見る側の人にも、楽しんで見ている人が居る。その楽しい気分をぶち壊す事はやはり良くない。
競技場でスポーツ選手をずっと罵倒してる人、たまに見るけど普通に迷惑だよね。
ストリートミュージシャンに「ヘタクソォ!」と罵声を浴びせる人・・・やっぱダメだよね。
「ヘタクソ。つまんね。俺のほうが上手い」とかコメントする人・・・もう少し、言い方考えて欲しいよね。
一切の批判を認めない人も多いけど、批判と誹謗中傷が曖昧になってる人もかなり多い気がするんだ。
そして、「やめちまえ」「閉鎖しろ」など見せる自由を否定する発言もかなり多いと思う。
それこそ、完全なる暴論だよね。
批判で相手が変わるとは限らない
もちろん、批判を糧にして「見せる側」が変化、成長するケースもある。
だけど、それは能力の問題もあったり、糧にしないと言う選択肢もあったりするのであまり期待してはいけない。
人気のある人を見てると特に思うけど、徹底的にスルーを決め込む人も居る。
批判が本人に届いてるのかすらよくわからない。
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